野口英世記念館で思う。
昨日は、福島に行って来ました。

いつものことなんですが、前々から計画していたわけではなく、休日の昼頃ふらっと出かけるという感じです。

最近思うんですけど、今って道路がいいから他県といえども簡単に短時間で行ってこれるんですよね。
小学校の修学旅行で、初めて福島県に行ったときは、恐ろしく遠い所という印象だったのに。


さて、今回は猪苗代湖のほとり、野口英世記念館を訪ねました。

  野口英世記念館


小学校の修学旅行で初めて訪れてから、私はたぶん3度目だと思います。
その最初の時と比べると、今はすごく整備されていてきれいです。
生家は屋根付で保護されていますし、あちこちにモニターがあり、生い立ちなど紹介しています。

  英世の生家



英世が1歳半のとき火傷をした囲炉裏

  英世生家のいろり

ほとんどの人が伝記を読んで知っていると思いますが、この囲炉裏に落ちた英世は、手を火傷し指がくっついてしまいます。
そのため、小学校の頃は「てんぼう、てんぼう」とはやし立てられることも・・・
しかし、母や先生の励ましもあり成績はどんどん上がります。
そして高等小学校に進学。
その頃、英世が書いた「思い通りにならない手の指を恨めしく思い、くっついている自分の指を小刀で切り開こうとした」という作文に先生級友が涙し、カンパでお金を集め英世に手術を受けさせてくれたのです。
これが、医学研究に生涯をかけた野口英世博士誕生のきっかけだったといえるでしょう。

思うのですが、この辺が今の世の中と大きく違うところですよね。
手に障害がある、「てんぼう」とはやしたてる、今なら悪質ないじめに発展しそうな状況と言えます。
しかし、苦しんでいる英世に対して周りはちゃんと情を持っています。
それは、負けずに頑張っている英世に対する尊敬の気持ちもあるのでしょうが、人が人に対する温かい気持ち・・情というものが、今より昔のほうが強かったように感じます。

生家を見学してから、記念館でいろいろな資料を見たのですが、母から英世に宛てた手紙などは、心にジンときます。
医学界で認められ、アメリカで研究を続ける息子英世に、たどたどしい文字で「帰ってきてほしい」とうったえる手紙。
母にすれば、自分の不注意で火傷をおわせてしまったと後悔し、なんとしても息子を立派に育てなければと働きづめだった毎日。
しかし、出世してみればまた自分から遠く離れてしまったような気持ちになり寂しかったのでしょうね。

ところで、小さい頃に読んだ小学生向けの伝記には、こんなこと書いてあるはずありませんが、野口英世という人は、金銭感覚に乏しかったようです。
アメリカに出発する前に、福島の親戚縁者、恩師などが用立ててくれた資金を、遊興で使い果たしています。
その時も友人が工面してくれ、なんとかなったようなのですが、天才というか集中力のすごい人は、集中していること意外は無頓着だったりするのでしょうか。
生涯、貯蓄もなく借金とは縁が切れなかったようです。

けれども、そんなことは、野口英世が残した功績に比べればたいしたことではないのかもしれませんが。


「志を得ざれば 再びこの地を踏まん」

19歳で上京するときに、生家の柱に刻んだこの決意文が、英世の並々ならぬ決心を感じさせます。
その後、アメリカに単身渡り研究に没頭する日々。
そして世界に認められた英世は、研究中であった黄熱病に感染し51歳の若さで生涯を閉じたのです。



最後に、私は野口英世と誕生日が同じです。(まぁ、どうでもいいことかもしれませんが・・)
たしか、最初にこの記念館を訪れた小学生のときに知りました。

もちろん、私は彼のようにすばらしい脳みそも、眠らずに研究を続けるような集中力も持ち合わせていませんが、お金を貯めることができない・・その辺だけは似てるかなって、勝手に共通点を見つけては親近感を感じているわけであります。

【 2008/05/19 13:17 】

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